「ジミーは僕に会いたくなかった」: マッケンローが語る1984年デビスカップの爆発的舞台裏

ラヴァーカップを機にポッドキャストに招待されたジョン・マッケンローは、1980年代に戻った。その中で、ジミー・コナーズとの激しいライバル関係についての興味深い逸話を披露した。
マッケンローは今年、ラヴァーカップのチーム・ワールドのキャプテンの座をアンドレ・アガシに譲った。
それでも「ジョニー・マック」はサンフランシスコに今週末姿を見せる予定だ。彼はアンディ・ロディックのポッドキャストに出演し、キャプテン時代の話や、もし1980年代にラヴァーカップが存在していたらどうなっていただろうかについて語った:
「おお、そんなことは考えたこともなかった。ジミー・コナーズと僕が一緒にいるなんて想像できるか?それは無理だったと思う。」
元世界ナンバーワンの彼は、その後、1984年のデビスカップで対戦したかつてのライバルについての逸話を語った:
「彼と一緒にデビスカップもプレーしたんだ。大会期間中、僕らは一度も話さなかった。それはチームに望む雰囲気ではない。僕はデビスカップにすでに7年間参加していた。
突然、ジミーと彼のエージェントは、彼の経歴に足りない唯一のものがデビスカップだと気づいたんだ。彼は常にプレーを拒否していた。
キャプテンのアーサー・アッシュは僕に言った、『ジョン、チームディナーは水曜日だ。ジミーは君に会いたくないそうだ。』
僕は答えた、『アーサー、ジミーはただ彼の経歴のために来ただけです。僕は7年間毎試合プレーしてきた。彼のほうがディナーを欠席すべきだ。』アーサーは同意した、ジミーはディナーに出席しなかった。ほとんど一年間、僕らは話さなかった。」とマッケンローは語った。
しかし、スウェーデンとの決勝での敗北時には緊張が和らいだ:
「彼が僕を励ましているのを見たよ。でも僕は内心『どこかへ行っちまえ!』と思ってた。ただ同時に、国のためにプレーしてるから気が重かった。その後、僕らはディナーに行って、突然彼は言うんだ『大丈夫だよ、ジョン。』と。僕は『何だって?絶対に平和じゃない!』と思った。」